maope’s diary

音大 ✕ ITスタートアップ ✕ クリエイティブ業界を旅する女子のブログ。〜気になったら頭から突っ込むよ〜

やりたい。

やっぱりどうしてもやりたい。
試したい。


私の頭の中のアイデアが人を幸せにできるのか。

大きな音楽のプラットホームを作りたい。

記憶に残る音楽を届けることがしたい。

ずっとその土地に伝わる音を
続いていく音を作る環境やシステムを作りたい。

家や公共の場をデザインするものとして
音楽の立ち位置を作りたい。

聴くだけじゃない。
使う。
使って使って。
もっとこうしてほしい!を生み出したい。

待ってても音楽は進化しない。

聴く側の進化が必要。

そのために、もっともっと音楽の可能性や利用価値を伝えたい。

そんな事ばかりが頭に浮かんで埋め尽くす。

とてもとても放置していた。

こんばんは。

とっても放置していたのですが、
今日はゆっくり自分の考えていることをまとめる作業をしていたので、
過去に書いた自分の言葉(色んなところにバラバラ書きすたやつ)を読み返して、

そういえば、はてなブログも書いていたわ〜と思い出した次第です。


今日は、もう日曜日だし明日からまた仕事ですね、
鬱々してますか?


私は、そうでもないみたいです。
音楽と自分は、どうしてこうも繋がりたがるのか考えてた。
やっぱりいい音楽を聞くと、どんなに明日が嫌でも前向きな気持ちになれるから。

音楽を聞くタイミングって、
実は受動的に聞くほうが多いんじゃないかなと思う。

カフェのBGM、電車が来るときの音楽、テレビとか?


こういう気分だから、これ聞こうってなる人は一体どれくらいいるのだろうか
そして、その曲が、本当に聞きたい曲であって
自分がこれを聞く事でどうなるかを知っていて聞いているのだろうか


音楽は、どうしてもBGM的な
テンションあがるやつとりあえずかけておいてよ、ほら洋楽とかイケてるやつ。


っていう、扱いをされがちな気がしている(日本だと)
どうしても、耳に残るような音楽だったりアーティストの雰囲気で好き好むことのほうが多い。

インストみたいな
作るひとと聞く人が直接つながるみたいな場合だと、違うけれどね。


だから、どうやって音楽をもっと知ってもらえるのか考えている
音楽を聞いた、感動した、何回も聞いて、その人の人生に刻まれる音になる。

そうやって、人の人生に中で聞くことのできるサウンドを豊かにして
その人自身のBGMが、素晴らしいものになったらいいなと思う、


音楽の価値は受け取りてによって決まるというなら、
受け取りては、きちんとその音楽の良し悪しを見極める必要がある。

Feelingでもいいかもしれない。

でももっと大事なのは、その音楽を提供されるタイミングと
その人がその音楽を聞くまでの道筋なのかもしれない

朝起きて、髪の毛をセットしたんだけど上手く行かなくて
とりあえず気分転換にお出かけして、休憩しにカフェに入る。

カフェでは音楽が流れている。

この音楽とのタッチポイントまでに、訪れた人がどういうコンテキストでここまで来たのか

十人十色のストーリー。


だけれど、そこに来たということの偶然性を包括して
来た人を刺激することができると思う、音楽は。

好きな音楽を聞きたいひともいるけど、
たまには違う曲も聞きたい、そういう人がいると思う


音楽が、たまたま来た人の耳に入って
すこし聴きこんでいたら、色々思い出してきて
力が入ったり抜けたりするだろう。

もしかして、
その偶然を人は求めているんじゃないのか。

運命って言葉を、良い意味で使うことを、人は好む。


音楽は、絶対的に人の人生をいい方向に導いてくれる、

暗い曲も明るい曲も、人を不幸にする音楽は無い。


そういう音楽のちからに自分は惹かれて
ここまでやってきたんじゃないのかなと思う。

専門分野を学ぶことって、不利なの?

今日はとっても暑かったー

夏を感じましたね、太陽近すぎ雲無さすぎ、みたいな。

そんななかBBQしてきて、
9.5割くらいが初対面の人だったんですけど、
頑張って喋ってきたもんだから、帰ってきてすごく良く眠れた!!!w


で。
そのBBQで某R社で働いているという方とお話していて、
「そっかー」と思ったことを書き留めておこうと思います。

専門的な分野を学ぶのは、将来的に不利?

お互い酔っていたのでついつい熱く語ってしまったのですが、
要は「専門的な学部にかよっている子って、将来進める道が限られているよね」
という話を、お互い似たように境遇だったので話していました。


少なくとも、
高校まではある程度同じ道を歩むのが日本の学生ですが、
大学からはかなり個々の道に進んでいくことになると思います。

私は音楽大学で、
一般教養なんてほとんど授業を受けずに4年間過ごしました。

将来は音楽関連の仕事に就きたいと思っていたから、それで良いと思っていました。

だけど。いざ、就職活動をしようとしたら、頭の善し悪し云々よりも
自分の世の中に対する関心の無さに驚き、同時に自信がなくなりました。

「こんな世間知らずになったのは、こんな場所にいたからだ!」と、
その頃の私は、音楽大学のことを最低な場所だって思っていました。

一般大学に入り直したいとさえ思っていたな〜。


どんな環境に居ても、将来への不安は出てくる

音楽大学演奏家の卵を世に輩出していくための研究所であり、成長の場所です。
優秀な先生のレッスンを受講できたり、普通の大学では学べない知識を身に付けることができます。

当たり前ですが私のように音楽家を目指していない学生は、
自力で、その他の必要な知識や経験を外で積んでこなければいけない、そんな環境です。

幸い、私は3年にあがったと同時に就職活動を始め

「ここのままじゃやばい。もっと外に出ないと。」

と気づくことが出来ました。
だって、学生部の就活関連の情報がめっちゃ薄くて使い物にならなかったから。笑


それからは、いろんな場所に出かけて人の話を聞きました。
そうすることで、自分は何が足りないのか。
普通の大学生は何をしていて、何を考えているのか。

少しずつ、自分を世の中に慣らして視野を広げて行きました。


そして、
ふむふむなるほど、と話を聞きつつ見えてきたのは、

専門的な大学に入ることで損していることなんて、一つもない

ということでした。
「何かを極める」ということをしてこなかったことを悔やんで
「やりたいこと無いし、どうしよう」と悩んでいる学生にたくさん会いました。


そっか、
専門的な大学に進んだことに後悔しそうになっていたけれど
みんな意外と同じように将来について悩んでいるんだなと、少し安心。

そしてみんなの
「将来どうしよう」って、つまり「職業何にしよう」ってことで、
やりたいこと=職業 で考えていて、
結果「やりたいこと思いつかない」病にかかってるなって思った。

やりたいことが見つからないのに会社とか決められないよ。とかね。

興味をもったことに「なぜ」と思うこと

そのやりたいことって、つまりは
「自分は何をして生きていきたいか」ってことだと思うのね。たぶんだけど。

たしかに、ちょっと重いテーマな気がするけど、
「人に喜んでもらうことをして生きたい」とか
「自然と調和して、豊かな生活をして生きたい」とか実は色々あると思っていて、
しかも、それはその人のバックグラウンドに左右されるから、十人十色になる。

その「テーマ」みたいな軸を持たないと、具体的に何をするのか、
どういう自分になるのか、みたいなのは決められないし想像もつかないと思う。

って考えていくと、
実は職業っていう将来の選択肢みたいなものは、一番最後に決めることで、
テーマを決めないと何も始まらないし決められない。

だから、興味をもった事柄に対して「どうして私はこれがきになるんだろう」
と自問自答して、「なぜなら」をたくさん考える機会をたくさん作るといいかもね。

同じことだけに
一生懸命に取り組むことも大事だし立派だけど、
その中にいただけでは気づけないことも、大学生のうちはたくさんある。

そういう意味で、
専門的な大学に通っている大学生は少し不利な環境だけれど、
そんなのは自分の行動力でどうにでもなるし、どうにでもなることをもっと知ってほしいなって思う。


あーーーーー
もっとちゃんと体験談をまとめていきたいな。
ほんと、色んなTipsあるし、音大生で将来悩んでいることかの話を聞いてあげたいし
失敗したからこそ伝えたいこともあるし。

自分の可能性みたいなものを、
大学生の肩書を存分に使って、実験しまくってほしい。

そういうことを、どうやったら伝えられるのかな〜…


おわり。

くやしさで胸いっぱいな夜

たまにはこんなタイトルでもいいかなって。


お腹も空いて、なんとなくココロも空いていて
「あーーーーーーーーーーー。」って声に出したらずっと続けられそうなそんな感じがして

ゆっくりゆっくり(歯医者の予約時間を少し気にしながら
歩いていって。また、信号で足止めをくらう。


今日の自分はだめだめだったな〜、なんて落ちこんで
それでも「なんかこれって社会人ぽい」って思った。

全然よい例じゃないけど、なんとなく。こういう時もあるよねって。


やることいっぱいあるのに、私の人生は。


無駄な時間を過ごすのはもうやめようって、
高校でも大学でも思ったことだ。


社会人になっても、やっぱり同じことを思うのか。


いいじゃない。
じぶんのやりたいことやれば。

世の中、出る杭は打たれるっていうから、きっと謙虚にやってくのも大事だよ。

でもさ。
中学の頃は謙虚に謙虚に生きててさ、学校では自分を殺して殺して
家ではさんざん自由にやらせてもらってたんだ。私の意志を否定するなんて許さない!って。(ただの反抗期

そんで、ようやく手に入れたココロの自由が高校だった。
レッスンは死ぬほど嫌いだったけど、それでも高校生活はなかなか楽しくやってたと思う。

その自由も大学で無くなったんだけど。笑
インターン初めてまた自由になったんだ、そういう感覚がした。

責任も同じくらい感じられた。
初めは、自由に伴う責任に、今日の私みたいに「あーーーーーーーーー」ってなってた。


暴飲暴食してみたり、
遅刻が怖くてベッドで寝れないのが1ヶ月くらい続いた。


乗り越えたら、なんでもなかったんだ。
だから、今の私になにを伝えたいかと言うと、

今、なにも上手くいってないと感じるのは、
案外自分の思い込みだったり、本当に上手くいってなくてだめなのかもしれない。


だけど、自分がなんでここにいて
3年間でなにをして、3年後になにをするのか決めているなら

早く家に帰って勉強したり
大好きな人に会いに行って癒やされたり、自由にやったらいいんだと思うよ。

求められる姿を追い求めて近づけるんじゃなくて、
自分がなりたいようになれるために、時間を使おう?


それから、笑顔でいよう。
無駄なコミュニケーションのために顔の筋肉を使うなんてって思うけど
いつも言われてたことじゃない。笑ってるほうがかわいいんだよ、たいていの人間は。



ちょっとずつ会社のこと仕事のことがわかってきたからこそ、
いいとこも悪いとこも見える。


大事なのは、それでも自分はここで何を残すか。
3年後にしっかり足あと残して、去ってやろうじゃないか。(あ、謙虚さが…

去ることが目的じゃないけど、
自分で食べれるくらいになっていたい。

よし、今週もあとちょっとがんばろう!

おつかれコーヒー。

今日は気持ちのよい天気だな。

と思って外に出たけどやっぱまだ寒いね。


おつかれな時はだいたいコーヒーを買いに行きます。

コーヒー、そんなに詳しくないし、
これは美味しい、これは微妙とかくらいしか意識してない。


でも。
なんとなくコーヒーを買いに行って
温かいな〜って思いながら、オフィス戻るのは好きみたい。

自分のことができなくなってきて焦るのはしょうがないことだから、
せめてコーヒー買う時は、こうしようああしようって考えを巡らせていたいものです(´・ω・`)


今週もはじまりましたね。
がんばりましょう。

強くなりたいな。

最近二人でゲームをすると


「え。なんでいまその技使っちゃうの?」

「あー。そこは先に進んでる人がやってくれないと」


とかいちいち不満を言ってくる彼ですが、
一言言ってもよろしいですか?




「先に言え。」



私よりもゲームプレイ時間長いし、
レベルも高いから、しょうもないところで躓く私が気になるのはしょうがない。


でもね、私このハイレベルダンジョンで生き残るために必死なわけ
もう前から後ろから強そうな敵がうじゃうじゃ来るの


「あーーーーーー死ぬーーー!!!怖い怖い怖い!!」って、
ライオンがいる檻にぶち込まれた人間みたいに、
ダメージを敵に与えながらどうやって脱出するかを考えてるの


私もね、できることなら協力して敵を倒したい
無駄死はしたくないし、効率よくダンジョン制覇したいの

そう、目的は同じ…!!


協力プレイが、
ただの生き別れプレイにならないように、早く強くなりたいです(笑


おやすみなさい

喜んでもらえるかは、想像できるかできないかの違い。

連続で書いてみる。
今度は全く違う話。


バレンタインというだけで、クリスマスよりは劣るけど
街は装飾されて、企業もあらゆる戦略を敷いてきますよね。

まあ楽しいし、
イベント感覚ですよ、私も。
どこのお店もバレンタイン色です。

とある輸入食品を扱っているお店に入ってみたら、
輸入されたチョコだったり、ちょっと珍しい材料が売っているから
今日足を運んだときは混み合っていて、「あそこが売り場か」とすぐに分かりました。


近づいて見てみたけど、
うーん。魅力的なものが全くない。


チョコレートやデコレーションのためのナッツ、
アイシングだったりチョコペンみたいなものがたくさん置いてある。


女の子だったら、
それだ並んでいるだけで結構テンションが上がるものだと私も思うのだけれど
どうしても、この空間に馴染めないし、買う気になれない。


「バレンタインの材料を買いに来ているんだから」


と思っても、
一向に決められない。

私は仕方なく、他の売り場を見に行ってみました。
実はそのバレンタインの売り場は特設で、通常の売り場へ向かいました。

すると、
特設には置いてなかった、マフィン生地のミックスや
ケーキミックスなど、生地の材料がたくさん置いてあり、

私はすぐにこれだ!と思ったものを手にとって、
どうやって作ってアレンジをして渡そうかと想像がどんどん膨らみました。


とってもワクワクしたし、
「喜んでくれる顔が想像できる。これに決めた!」と即決しました。笑


さっきは、
どうしてこうはならなかったのだろう。。。?



きっとあそこに集まっていた女の子も主婦も、
誰かのために作るから選んでいたに違いない。

目的は一緒なのに、
どうして私は何も魅力的に感じなかったのか、それは


買った後のことが想像できすぎてしまうからだなと思いました。
完成した写真が載っていて、作り方も丁寧にしかも少なくなるように配慮されてる。

これができるのかと見てしまうと、
きっとそれ以上それ以下の想像ができなくて、
結果、渡す相手の顔さえ決まりきってしまったような感覚になるのです。

やっぱり、、
なにかを作るときは、作るための動機があって
「これをつくろう」と思ったものを作るための材料を買うというのが普通だなと思います。

そして、実際に材料を選んでいる時も、
やぱりこっちにしようとか、あっちにしようとか
試行錯誤するのが楽しいんだと、私は思うんですよね、


早く土曜日になってほしいなヽ(=´▽`=)ノ